桃の摘果、キツイ。
甘く見ていたというか、経験が無いからわからなかった。
今まで、実がほとんどつかない方が多かったので、あんなに実がつくものとは思わなかった。
急な雨と、じっと立っていると脚がいたくなるので、3回に分けてやったが。
細い枝を折るとか、枝の皮をはがすとか、枯れ枝を切る作業中ほかの枝を折るとか。
もともと剪定などしたことない木なので、無茶苦茶な枝ぶり。
最後はやけくそで摘果していったが、それでも100個以上は残った感じ。
たかが2mの小さな木でこれだけ苦労する作業を一日中する専門農家を想像すると。
そういえば、ニュースで流れる受粉作業も大変そうだなあと眺めていた。
そもそも、果物を獲るとか食べる発想がない。
ただ花がきれいだなあ、というので植えた。
木瓜の赤白からのピンクの桃、という感じで。
お隣の庭へ葉や枝が伸びるのを防ぐために枝を切って、枯らしかけてからのこの復活劇。
枝を切ると木自身がやばい、こいつ何もわかっていないと本気出したんだな。
生存本能。
でも、これを人間用に収穫となると手間暇かかるな。
ほったらかしでどうなるか観察しよう。
自然界では摘果なんてできないはずなんだから。
7月くらいには結果が出るはず。
で、鳥に食われても、病気になっても、傷がついても、放置プレイしよう。
何しろ沢山すぎる。
桃なんて、買って食べることもない。
果物といえば、缶詰で安いパイナップルぐらい。
いつもヨーグルトと一緒に食べる。
本当に果物は高級品・贅沢品というイメージしかない。
逆に柿は、野生みたいに田舎にはたくさんあった。
これはたいしてうまくない品種なので、やはり食べなかった。
私の家は農家ではなく、土地もないので柿の木が無かったから。
貰ってまで食べる気はしない。
本当に私の人生で初めて果物を普通に食卓で見るようになったのは、義母と同居してからだ。
義母は幼少期から青春時代を南の方にいて、お嬢さん学校へ行っていたくらいなので、教養もあり贅沢も知っていた。
ほぼ食卓にフルーツがある生活は驚きだった。
それが戦後すべてを失って苦労の末の、娘と同居・孫と同居ということで、家を買ってくれたわけだろう。
おかげで楽な子育てで、旅行もたくさんいったものだ。
私も初めて家族というものが理解できた。
私の田舎時代は、貧乏と労働しかないものなあ。
学校にも近所にも友達いないし。
早く田舎を出ることしか考えていなかった。
或いは、この世からの逃避行しか。
そんなこんなを思い出させる、比べることになるフルーツ。
正直、気楽に食べることが出来ない。
貧しさを思い出させる。