雨が続くと咳が少ない。
明らかに違う。
まず、鼻がガラガラの高規格農道。
膿というものが出ない。
したがって咳も出ない。
やっぱり花粉や黄砂やPM2.5なんだろうなあ。
ということは、1970年台のSFで描かれた核戦争後の未来というような巨大ドームで覆われたコンパクトシテイが必要なのでは。
なかなか思うようにならない外国に投資するより、こじんまりとした地方都市なら可能でしょう。
人口2,000人程度ならドーム球場に十分収まるもの。
住居・学校・役場・病院・保育所・警察など必要なものは全部ドーム内へ設けられる。
実は、卒論は広域行政システムだった。
そこで見えた限界は、広すぎる住民居住地ということ。
まず救急システムが片道1時間以上かかっては運営できない。
当時私の本籍地は、すでにダムで沈むことが決定された時だった。20年の反対も高齢化と大規模災害で心折れたのだ。
そのダムは大規模で、3町村にまたがる住民移転が必要だった。
キロ数にしたら直径10㎞の巨大円。
考えてみてください。
ダムなら簡単に住民移転・土地収用が出来てしまうのです。
これは、日本全国で規模は違っても起こっていたことです。
ただ、都会の人や他地域の人は関係ないからと無関心だった。
東京のタワマンといえば富裕層の象徴ですが、一棟の人口が地方では直径30㎞とか50㎞に点在しているのです。
広域行政システムの結論としては、住居地域の集約化でした。
まだ、コンパクトシテイという言葉もなかった時代。
片道1時間かかっていては、急病人は助からないという現実に対する答えだった。
まさか本当に核戦争になるとは思わないが、あり得ないことではないというかすかな不安があった時代。
石炭の為なら離島に数千人の町が出来た時代もあったのですよ。
工業用水の為なら集落が水没してもやむなしという時代。
田舎から大規模製鉄所へ人が獲られた時代。
農村から青年男子がいなくなり、農薬散布がセスナで空中散布になった時代。
金のため??いや、大企業の為なら、住民??いや労働者はいかようにもなるという時代。
人は労働力。
代わりは貧しい田舎からどんどん連れてくればいいという時代。
ゆえに、コロナで大都会が悲惨になるのを楽しみにしているのだが、店がダメなら路上で飲むというバカ騒ぎ。
医療崩壊もなかなか起こらない。
死者も劇的には増えていない。
国会議員は感染しない、死なない。
ええ、話が違うじゃない。
欧州・アメリカの死者数に追いつくのはいつなんだ???
大都会はいつまでも大都会なのか。
そこに住む住民は、いつまでも都会人であることを望むのか。
栄華を誇った大文明もほとんど滅ぶ歴史は、止まるのだろうか。
金の力で。
ならば、2,000人程度の集合都市が出来ない理由がなくなる。